家事や子育てに奮闘し、私なりにがんばってやってきたつもり。
そんなとき、ふと我が子と話したときに、子供が目を合わせないで話す事が多いことに気づき…。
あれ、どうしてうちの子目を合わせないんだろう?そういえばなんとなく態度も弱々しいというか、オドオドしてる。
私、怒り過ぎたのかな!?何かどこかで子育て失敗した!?
と、長男が保育園に通っていた頃に実際に思った私の実話です。
初めての子育てに力が入っていたためか、周りから見てもかなり厳し目に育てた結果、長男は話すときに目を合わせない幼児に成長していました。
子供が目を合わせない事に気づいてから、このまま育つとまずいのではないか…と思い、子育てを見直し、とある方法で子供との接し方を変えてみました。
すると、目を合わせなかった息子が、みるみるうちに目を合わせて話すようになっていきます。
以前と違い、生き生きとした目でこちらを見る息子を見て、ホッとしたと同時に、子育てでこういうことをしたら目を見なくなり、こういう接し方をしたら目を見る子育つんだなという事がわかりました。
ここでは、目を合わせないで話す子供を変えた方法や、どうして目を見ないで話す子になるのかということを実体験を踏まえながらお話ししていきます。
目を合わせない子供の心理は?
そもそもどうして、人は目を合わせるのでしょうか。
それは、その対象に興味があると、人は目で見てよく観察しようとしたり、認識しようとするためです。
つまり、好奇心から見たいという気持ちが働きます。
赤ちゃんの頃は、ずっと目を見てきますよね。
物音がした方向をみたり、動くものを目で追ったり。
お母さんを探したり。
気になる対象、興味のある対象を人は自然と見ようとするものです。
そして、話しかけるということは、相手の注意や関心を引く行動です。
話しかけられると相手の目を見てしまうのが自然な行動です。
では、どうして話しかけられた時に目を合わせない子がいるのでしょうか。
それは、目を合わせると不快な気持ちになるという体験があるためです。
目を合わせると不快な気持ちになるとはどういうことなのか、次の項目で詳しくお話していきます。
もしかして親が高圧的なのが原因?
赤ちゃんの頃から、私たちは様々な体験をしていきます。
とても小さいころの記憶で本人は思い出せないとしても、その出来事はずっと残っています。
例えば怒るときや注意するときは目を合わせますよね。
この時子供は「目が合う事は怒られる時」という体験が追加されます。
私も最初は、子供と接するときは怒っていたり不機嫌に接していたことがほとんどでした。
目をじっと見つめるときは、怒る時や、こっちの要望を通したくて注意するときです。
これが繰り返されると、子供は「またか」と思い、目が合う時は不快な気持ちになるという記憶が強くなります。
不快な気持ちになる行為をわざわざしようとする子供はいません。
そのため、だんだんと目を合わせる行為自体を嫌がるようになります。
怒る時に目を合わせていても、愛情を注ぐ時や楽しい時も目を合わせていれば、“目を合わせる=嫌な事”という図式にはなりにくいです。
でも、子供が愛情を感じられる場面で、私は目を合わせる事をしていませんでした。
子供は、自分が親に注目されているという事を感じると愛情を感じると知らなかったからです。
子供と一緒にいるとき、子供と話すときなど、いつも「ながら作業」をしながら接していました。
洗濯物を干しながら、ご飯を作りながら、携帯を見ながら、掃除をしながら、目は手元を見ているため、子供の方は時々見るくらいです。
子供は、話すときはちゃんと親の方を見ているんです。
でも、親が話すときにこちらを見ないので、“話すときは目を見て話す”ということを学ばずに育っていきます。
さらに子供は、お母さんから関心を持ってもらえていないと感じます。
目を合わせるときは怒られる時、注意される時が多く、自分はお母さんに関心を持つけれど、お母さんからは見てもらえていないという体験が多く重なると、子供はだんだんと目を見る事がなくなっていくのです。
オドオドして自信がない息子の今後が心配!目をあわせないことの弊害とは?
お母さんは、自分よりも大事なことがたくさんある。
お母さんに注目されたり、関心を寄せられるのは怒られる時だけ。
そう感じるようになると自己肯定感の低い子に育っていきます。
自分の存在価値を小さく感じ、自己肯定感の低い子に育つと、自分は関心を持ってもらえる存在ではないと無意識に思うようになります。
うちはまさに、その典型的なパターンでした。
子供がオドオドしたり自信がないのは、小さいころに自分に対して無価値観を抱いたこと、自己肯定感の低さを感じた事が原因です。
自分の存在価値を小さく感じています。
お母さんに見てもらえない時、寂しいと感じると、自己肯定感のある子はこっちを見て見てアピールをしてきますが、無い子はどうせ見てもらえないだろうと思い、自分に対しての無価値観を感じていきます。
しだいに、お母さんと目が合うと自分の中にある無価値観を感じるようになり、それを感じたくないために目をそらすようになっていくのです。
無価値観や自己肯定感が低いと、自分の存在価値に対して自信が持てないため、人の目に自分がどう映るのかを気にしすぎるようになります。
ありのままの自分を自分自身が認められないため、自分の価値を測るのに人にどう思われるかというところを気にしてしまうからです。
そうすると、自分の感覚や意思で動くよりも、人からの評価を基準に行動する人になっていきます。
これを、“他人軸で生きる”とも言います。
他人軸で生きると、自分の内側が満たされることはありません。
どこかむなしく感じたり、自分が何をしたいのか、自分の好きなものが何なのかが分からなくなってきます。
本気でそう思って生きていくようになります。
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