吉良祭元禄市2019の駐車場やみどころは?忠臣蔵とは?赤穂義士祭との関係は?

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#吉良邸#忠臣蔵#両国

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皆さんは「忠臣蔵」、「赤穂浪士」という言葉を聞いたことはありますか?

年末にはNHKなどで放送されていまし、耳にしたことはあるのではないでしょうか。

時代劇なんて見ないという世代でも、「銀魂」というアニメは知っているという若い世代は多いのではないでしょうか?

「赤穂浪士」が吉良邸に押し入ったら不逞浪士の取り締まりに「新撰組」が来てしまい戦うこととなりました。

銀魂に出てくる近藤勲(こんどういさお)は近藤勇(こんどういさみ)。

土方十四郎(ひじかたとうしろう)は土方歳三(ひじかたとしぞう)がモデルになっていますね。

 

今回は相撲の聖地両国駅近くの本所松坂町公園にて開催される吉良祭元禄市というイベントについて、駐車場の有無や忠臣蔵、赤穂浪士の説明を加えながらご案内します。

吉良祭元禄市2019の駐車場おすすめは?

駐車場

会場へのアクセスは何が便利?

会場は吉良邸跡(本所松坂町公園)

  • JR総武線 両国駅下車 徒歩5分
  • 都営地下鉄大江戸線 両国駅下車 徒歩10分

総武線と地下鉄の駅が近いので公共交通を利用するのがよさそうです。

周辺に駐車場はあるの?

遠方からいらっしゃる方もいると思うので、周辺の駐車場もこ案内します。

タイムズ両国橋

住所:東京都墨田区両国2-10

台数:7台

入出庫可能時間:24時間入出庫可

最大料金(繰り返し適用) 通常料金
全日 駐車後5時間 最大料金1800円 08:00-20:00 15分 300円
20:00-08:00 60分 100円

 

タイムズ両国第6

住所:東京都墨田区両国3-23

台数:5台

入出庫可能時間:  24時間入出庫可

最大料金(繰り返し適用) 通常料金
全日 22:00-08:00 最大料金500円 08:00-22:00 30分 600円
22:00-08:00 60分 100円

 

リパーク両国3丁目第2駐車場

所在地:東京都墨田区両国3丁目24ー13

営業時間:24時間

収容台数:3台

料金:

  • 08:00-22:00 20分/300円
  • 22:00-08:00 60分/100円

最大料金:【全日】22:00~8:00以内 最大料金300円 ※最大料金は繰り返し適用となります。

 

吉良祭元禄市2019とはどんなお祭り?

イベントの概要は?

毎年12月第二週の土日の二日間、討ち入りの舞台となった、吉良邸跡地を中心に開催しています。

会場では、衣料品や日用雑貨、食品などをはじめ、観光コーナー、ちゃんこ屋台、野菜の直売など、80店舗を超える露店が立ち並び、甘酒の接待や振舞酒による、歳末助け合い募金を行うなど、年末の風物詩となっています。

 

元禄市(吉良祭)2016-12-10

元禄市(吉良祭)2016-12-10

スケジュール

2019年12月14日(土)・15日(日) 9:00~17:00

元禄市=衣料品・日用雑貨。玩具・乾物・鉢植え・食料品などの販売。

15日に樽酒・甘酒の振る舞い有(歳末助け合い)

併催行事=墨田区観光協会による忠臣蔵関連グッズ・スカイツリーグッズなどの販売。

忠臣蔵引き揚げルートウォーク(両国→築地本願寺)もあります。

忠臣蔵ゆかりの産直販売=桜川市(真壁町)

ちゃんこ、和太鼓演奏、相撲甚句も行われる。

《併催行事は、9:00~16:00》

開催場所は?

会場:墨田区立本所松坂町公園及び周辺

  • JR総武線      両国駅  徒歩5分
  • 都営地下鉄大江戸線 両国駅  徒歩10分
  • 都バス 門33     緑一丁目 徒歩5分
  • 墨田区南部循環バス 勝海舟生誕之地・吉良邸跡入口

例年の来場人数は?

約1万人

吉良上野介とは?忠臣蔵とは?赤穂義士祭との関係は?

忠臣蔵

12月14日は赤穂浪士が、吉良邸に討ち入った日ですね。

時は元禄15年(1702年)12月14日寅の刻(午前4時頃)、火事装束に身をかためた赤穂浪士47人が本所「吉良邸」に討ち入りました。

そして、本懐を遂げた浪士達は、隊列を整え、降り積もった雪を踏みしめながら、未明の江戸の街を縦断して泉岳寺まで歩き、に吉良上野介の首を供えました。

その距離は約13kmあり、吉良邸引き揚げが卯の刻(午前6時)頃、泉岳寺到着は辰の刻(午前8時)頃といわれています。

吉良上野介とは?

江戸鍛冶橋の吉良邸にて生まれます。

吉良氏は室町幕府を開いた足利氏一門にして、「御所が絶えれば吉良が継ぐ」と言われて将軍家が断絶した際の筆頭継承権を持つとされた名門です。

そのため、江戸幕府からも名家として大切にされていました。

いつの頃からか地元では領地三河国幡豆郡に黄金堤を築いたとされる治水事業(1686年)や、富好新田の新田開拓(1688年)、塩田開発などの治績を吉良義央が行ったという伝承が形成されており、これらを根拠として名君として評価されています。

当時領地であった、愛知県の吉良町には「赤馬」という郷土玩具があります。

これは黄金堤を築いた際に当地を訪れ現地を赤馬に乗って作業を視察したという言い伝えに由来するそうです。

赤穂藩との軋轢は塩の産地である赤穂藩に技術指導を依頼したら断られたことが一因ともされていますが根拠は不明です。

ドラマなどの影響で賄賂を要求する卑しいイメージが、当時の賄賂は「まいない」と言って現代ほどマイナスのイメージはなく、高家への指南料として献上するものだったので、それを求めた上野介は当然のことをしただけでした。

偉大な人物であったことは確実だが、その手の英雄にありがちな敵の多さもまた事実。

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