上皇旗のデザインは天皇旗と何が違う?誰がデザインをした?大正天皇陵の場所は

6日、上皇ご夫妻は、東京都八王子市の大正天皇陵を参拝し、上皇さまの退位を報告する「親謁(しんえつ)の儀」に臨まれました。

上皇さまはモーニング姿、上皇后美智子さまは洋装でご参拝されました。

移動の車には「上皇旗」が初めて取り付けられた。在位中、重要な儀式などに向かう際に使っていた「天皇旗」と同じ菊の紋章があしらわれ、地の赤色は天皇旗よりも濃いデザイン。

あまり意識して見たことはないかもしれませんが、この旗もいろいろ種類があるのはご存知でしょうか。

わたしも調べていくうちに、いろいろとあることを知りました。

今回はこの、「上皇旗」と「天皇旗」の違いについて解説していきたいと思います。

上皇旗のデザインは?天皇旗との違いは?

上皇ご夫妻は6日、東京都八王子市の大正天皇陵を参拝し、上皇さまの退位を報告する「親謁(しんえつ)の儀」に臨まれた。

上皇さまはモーニング姿、上皇后美智子さまは洋装で参拝。移動の車には「上皇旗」が初めて取り付けられた。在位中、重要な儀式などに向かう際に使っていた「天皇旗」と同じ菊の紋章があしらわれ、地の赤色は天皇旗よりも濃いデザイン。

ご夫妻は3~4月、初代天皇とされる神武天皇の陵(奈良県橿原市)、皇室の祖とされる天照(あまてらす)大神(おおみかみ)を祭る伊勢神宮(三重県伊勢市)、昭和天皇陵(八王子市)で親謁の儀に臨んだ。孝明、明治、大正の3天皇陵は日程を確保できず、退位後の参拝が決まっていた。孝明、明治の両天皇陵(京都市)は12日に訪れる。

引用:毎日新聞

移動の車に初めて「上皇旗」が取り付けられたそうですが、「天皇旗」とは若干色が濃くなっているようです。

わたしも、違いがあることを初めて知りました。

紋章自体に変わりはなくても、色で変化をつけているんですね。

他にもいろいろな違いがあるようです。

こんなにもいろいろな違いがあるんですね。

案外知らない方も多いのではないでしょうか。

旗のデザインは誰がしているの?

この菊のデザインはどこからきているのでしょうか。

鎌倉時代には、後鳥羽上皇がことのほか菊を好み、自らの印として愛用した。その後、後深草天皇・亀山天皇・後宇多天皇が自らの印として継承し、慣例のうちに菊花紋、ことに十六八重表菊が皇室の紋として定着した(「十六弁菊は南朝の紋で、三十二弁菊(十六弁八重菊)は北朝(および現・皇室)の紋である」との説明も見かけるが根拠不明である)。

江戸時代には幕府により葵紋とは対照的に使用は自由とされ、一般庶民にも浸透し、この紋の図案を用いた和菓子や仏具などの飾り金具が作られるなど各地に広まった。

引用:ウィキペディア(Wikipedia)「菊花紋章」

このように起源を遡ると、鎌倉時代になるんですね。

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