赤穂義士祭と泉岳寺の関係やご利益は?みどころ3選や駐車場・アクセス情報!

皆さんは「忠臣蔵」、「赤穂浪士」という言葉を聞いたことはありますか?

年末にはNHKなどで放送されていまし、耳にしたことはあるのではないでしょうか。

時代劇なんて見ないという世代でも、「銀魂」というアニメは知っているという若い世代は多いのではないでしょうか?

「赤穂浪士」が吉良邸に押し入ったら不逞浪士の取り締まりに「新撰組」が来てしまい戦うこととなりました。

銀魂に出てくる近藤勲(こんどういさお)は近藤勇(こんどういさみ)。

土方十四郎(ひじかたとうしろう)は土方歳三(ひじかたとしぞう)がモデルになっていますね。

 

赤穂浪士が眠る泉岳寺では毎年、赤穂義士祭が開催さています。

2019年に開催される赤穂義士祭での、駐車場の有無や同日開催されている吉良祭元禄市の説明を加えながらご案内します。

赤穂義士祭2019とはどんなお祭り?

討ち入りから315年 泉岳寺 赤穂義士祭 The Loyal 47 Ronin

討ち入りから315年 泉岳寺 赤穂義士祭 The Loyal 47 Ronin

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イベントの概要は?

泉岳寺義士祭は、1950年から開催されている、赤穂浪士の討ち入りの日の12月14日と4月初旬の年2回、東京都港区の泉岳寺で、毎年行われる供養行事だそうです。

泉岳寺義士祭では、多くの一般の参詣者が焼香に訪れて、泉岳寺の赤穂浪士の墓前で読経供養や抹茶を神仏にお供えする献茶式が行われ、開催日当日には、泉岳寺駅からお寺までの道は、大勢の参詣者達で大変混雑するそうです。

吉良上野介邸跡地から泉岳寺までを、討ち入り装束を着た人々が行進する義士行列パレードが行われるそうです。

スケジュール、日程

毎年12月14日

11時 墓前供養 浅野長矩公之墓所

12時 献茶式 東阿部流献茶式(本堂)

献茶式引き続き 義士追善供養(本堂)

開催場所は?駐車場はあるの?

〒108-0074 東京都港区高輪2-11-1

TEL:03-3441-5560 / FAX:03-3441-2208

 

電車

京急本線・都営地下鉄浅草線 泉岳寺駅より徒歩2分

泉岳寺には駐車場がないため、近くのパーキングを利用しましょう。

白金タワー駐車場

住所:東京都港区白金1丁目17ー1白金タワー

営業時間:24時間

収容台数:43台

料金:

  • 08:00-22:00 30分/300円
  • 22:00-08:00 60分/100円

最大料金:【全日】最大料金入庫後24時間以内3000円

※最大料金は繰り返し適用となります。

 

タイムズ T.N.S高輪1丁目

住所:東京都港区高輪1-27

収容台数:6台

入出庫可能時間:24時間入出庫可

料金:

  • 08:00-22:00 20分 200円
  • 22:00-08:00 60分 100円

 

リパーク高輪3丁目第3駐車場

住所:東京都港区高輪3丁目2ー1

営業時間:24時間

収容台数:4台

料金:

  • 08:00-22:00:15分/300円
  • 22:00-08:00:60分/100円

最大料金:

【全日】最大料金入庫後12時間以内2700円

※最大料金は繰り返し適用となります。

 

主催は?

財界二世学院という教育機関が開催してます。

イベント歴史は?

1950年から始まり、約70年の歴史があります。

例年の来場人数は?

約2万人の人出があり、赤穂浪士を偲んで全国から参拝に訪れます。

地元の人にとってのイベントの意義は?

地元の人ならずとも、忠臣蔵で有名な赤穂浪士が眠るお墓です。

また、屋台や赤穂浪士の格好をした義士のパレードもあり、地元の人にとっても大切なイベントです。

赤穂義士祭と泉岳寺との関係は?

赤穂義士祭と泉岳寺との関係は?

12月14日は赤穂浪士が、吉良邸に討ち入った日ですね。

時は元禄15年(1702年)12月14日寅の刻(午前4時頃)、火事装束に身をかためた赤穂浪士47人が本所「吉良邸」に討ち入りました。

そして、本懐を遂げた浪士達は、隊列を整え、降り積もった雪を踏みしめながら、未明の江戸の街を縦断して泉岳寺まで歩き、に吉良上野介の首を供えました。

その距離は約13kmあり、吉良邸引き揚げが卯の刻(午前6時)頃、泉岳寺到着は辰の刻(午前8時)頃といわれています。

討ち入りを果たし、敵をとった赤穂浪士はどうなったのかというと、元禄16年(1703年)2月4日に切腹した後、泉岳寺に埋葬されました。

泉岳寺はどんなお寺?

泉岳寺は曹洞宗の寺院です。

曹洞宗のご本山は二つあり、一つは道元禅師が開かれた福井県の永平寺、もう一つは横浜鶴見の総持寺です。

道元禅師の主著は仏教の真髄を表した『正法眼蔵』という95巻に渡る書物です。

さて、泉岳寺は慶長17年(1612年)に門庵宗関(もんなんそうかん)和尚(今川義元の孫)を拝請して徳川家康が外桜田に創立した寺院です。

(現在の警視庁の近く)

しかしながら寛永18年(1641年)の寛永の大火によって焼失。

そして現在の高輪の地に移転してきました。

時の将軍家光が高輪泉岳寺の復興がままならない様子を見て、毛利・浅野・朽木・丹羽・水谷の五大名に命じ、高輪に移転した泉岳寺はできあがったのです。

浅野家と泉岳寺の付き合いはこの時以来のものです。

一般的には赤穂義士のお墓があることで有名ですが、創建時より七堂伽藍を完備して、諸国の僧侶二百名近くが参学する叢林として、また曹洞宗江戸三か寺ならびに三学寮の一つとして名を馳せていました。

その家風は引き継がれており、人数は少ないものの、大学で仏教を学びつつ泉岳寺で修行を勤めるという若い修行僧が、現在もいます。

 

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